●ウサギを喰い殺すワニの群れ●
なんでこんな話するかというと、今月の「妄想少女オタク系」が怖いからです。
できれば今までの流れを読んだ上で見て欲しいんですが、今までを読んでなくてもいい、今月号だけでも見て欲しい。
「ヒロインの女の子、まっつんと浅井の二人がBL好きで、サイトを立ち上げて地道に活動している」とだけ分かっていれば十分です。
好きな作品があって、それに対して色々愛情溢れて何かを作りたいと考える。
至極よくある普通のことです。
とはいえ、文章なり絵なり音楽なり動画なり作るのは非常に労力のいる仕事でもあります。なんといっても「思いつく」のは誰にでも出来ても、完成させるのは本当に難しい! 作品、として形にするのは「好きだから」だけでは伝えきれない、猛烈な努力が必要になります。
現在ネット上にあがっている数多くの作品は、50%の「好き」や「楽しい」と、50%の「努力」や「根性」で出来ています。いや、もしかしたら10%・90%かもしれません。
それでも作りたい、と思う気持ちがあるんです。
この二人の少女も、至って純粋な気持ちで同人活動を始めました。サイトに作品をアップしていました。
ごくわずかな人に、一緒に「面白いね」「楽しいね」と共有したくてです。
ちょっと面白いのは、自分達がやっている男同士カップリングが「正しい物」だとは主張してはいないこと。
あくまでもひっそりなんですよ。
「こういうの痛いよねー」「腐ってるよねー」「歪んでるよねー」
「でもさ、楽しいよね…!」
この作品、視点の行き来の中で、オタクじゃない人の目に触れてそれが「痛い」というのも分かって描かれているからすごい。
きちんと「オタクは時々道から外れた行動も確かにしている」「痛々しい言動もしているし、一般人から見たら恥ずかしいこともたくさんある」というのを、一般人を描写することで描いています。オタク万歳・BL趣味万々歳ではないんです。現実的に対面する問題から決して逃げていない。
それでもこの作品に出てくる女の子達が輝いて見えるのは、後ろめたさを背負いながらも「本当に楽しい」という思いを決して否定しないから。最初は否定したり迷ったりもしたけど、やっぱり好きな物は好きなんです。それで十分じゃないか。
とはいえ、現実は時として非情です。
自分の中でけりが付いて、色々悩んだり苦しんだりしながら成長して「でもこれでいいんだ!」と問題が解決した矢先、突然暴力はやってきます。
まっつんの目に晒されてる、というコメントが飛び込んだ瞬間。
囲まれている「~お」の部分はまだいいですよ。
問題はその下。無数に並ぶ「腐」の字。「現役JKハァハァ」という書き込み。
サイトやっている人なら「ああ、あるある」というネタかもしれませんが、人の心をずたずたに切り裂くには十分すぎます。
ここで注目したいのは、直接的な悪口ではない、ということです。
「死ね」とか相手に書き込む人であれば、そもそもマナーとして無礼千万と叩ききることもできるでしょう。
しかしもっと意味のない言葉、内容のない書き込みなんです、彼女のサイトに書かれた言葉は。
個人的に他称としての「腐女子」がとても苦手です。自称ならいいんです。自分も「いやあ自分オタクだし、ロリコンだし」みたいに自分を下げて言うのはクセみたいなものですから。連帯感の中で生まれた、「わたしら腐ってるよねー」という軽いノリなら楽しいはずです。
しかし余所から浴びせる「腐」の字は相手の心を切り裂く言葉に他なりません。親しい友人が言うならかまいませんが、知らない人が浴びせるその言葉は、相手を低めて見ている蔑称です。
何も考えて書かれてはいない、「腐」の字の羅列。意味なんて無いです。無邪気なんでしょう。
しかし、相手の中にある悪意は確実にディスプレイを通じて、心の中をぐちゃぐちゃにしてしまいます。
悪意はなかった? いいえ、そういうのを悪意と呼ぶんだ。
もちろんこの場合、「晒した人」がもっとも問題がある、というのは異論の余地がありません。*2
しかし、「晒した人」「晒された人」だけが目に入ってしまって、何か重大なことを忘れている気がします。
そう、面白がって無邪気に悪意を振りまく人が一番問題があるんじゃないか、ということ。そもそもそういう人がいなければ、晒されたからどうのこうのというのはないはずなのに。
ウサギをワニの群れに投げ込んだ場合、投げ込んだ人がもっとも悪意に満ちているのは分かっています。
しかしそれを食い荒らすワニの群れが「当たり前」だと感じてしまう状況こそが、一番恐ろしい。
たまごまごごはん